路上の弾き語りからライヴ制作のプロへ。
中川敦雄の仕事を支えてきた“続ける美学”
エンタテインメント業界で即戦力となれる人材を育成するエイベックス・アーティストアカデミー エンタテインメントビジネスコース。
このコースはエンタメビジネスのプロが講師を務めるとともに、エイベックス・グループのリソースを最大限に活用したプログラムを通じて、エイベックス・グループ他、エンタメ企業へ数多くの若き人材を輩出しています。
その仕組みや特徴を知るため今回お話を伺ったのは、エイベックス・エンタテインメント株式会社のライヴ事業部でマネージャー兼チーフプロデューサーを務める中川敦雄さん。
このコースで講師を務める中川さんがエイベックスに入ったきっかけや、ライヴ制作の魅力、そして生徒たちに期待することとは?
“3ツアー3年”で学んだ、ライヴ制作のノウハウ
中川さんがエイベックスに入社されたのはいつですか?
2009年に31歳で中途入社しました。それまでは2007年から1年半ぐらいはハンドボール選手のマネージャーをしていて、さらにその前はハタチから28ぐらいまで、日本中でヒッチハイクをしながら路上で弾き語りをしていましたね。
とても興味深い経歴ですね。ご出身はどちらですか?
大阪です。23歳ぐらいで東京に出てきたのですが、それも弾き語りをしている時に、たまたま東京で出会った音楽プロデューサーがきっかけでした。
それではエイベックスに入社するまで、制作は全くの未経験だったのですね。
そうですね。弾き語りを長い期間していたのですが、ある時から「売れないな」と思い始めて。その時に繋がりからハンドボール選手の宮﨑大輔さんのマネージャーをすることになって。 マネージャーをしていた当時は、彼が所属する大崎電機のホームゲ―ムの取り仕切りみたいなこともしていて、エンタメの要素を入れたりもしていたんです。 その会社がアクシヴっていう、元々エイベックスにあった会社にいた人が作った会社だったので、その紹介もあって、当時のエイベックス・ライヴ・クリエイティブに入社することになりました。
入社した当時は、慣れないことも多くて大変だったのではないですか?
2009年の1月に入社したのですが、2月からDo As Infinityのツアーがあったんです。Do As Infinityは一度解散したのですが2008年に復活して、その2月のツアーが復活後の一発目。 そこに僕は「行ってこい」と言われてひとりで投入されたんです。 その時の上司は現場で経験させるタイプで、最初は「えー!」と思いましたが、結果的にそのツアーでいろいろなことを覚えました。 今となってはありがたかったし、僕には合っていたのだと思います。
アカデミーのエンタテインメントビジネスコースは、“実践型エンタメビジネス人材育成プログラム”と銘打っていますが、中川さんのエイベックスの始まりもだいぶ実践型ですね。
僕の場合はレアというか、時代もあったと思います。それこそライヴの制作ってひとつのツアーを回っただけではわからない。
一通り経験するには、“3ツアー3年”みたいな考え方があるんです。僕の場合も、スタッフやアーティストの方と普通に話せるようになったのは3年ぐらい経ってからでした。
そこからLINDBERGやhitomi、Every Little Thingなど、さまざまなアーティストのライヴ制作を担当しました。
今は和楽器バンドや、あと最近だと社外の企業案件も多いです。
例えばコロプラという会社の『魔法使いと黒猫のウィズ』というゲームアプリがあって、そのオーケストラコンサートをつい先日、パシフィコ横浜で開催しました。
自分で選り好みせずに、続けられるかどうかが大事
中川さんは去年初めて、エンタテインメントビジネスコースの講師をされたとのことですが、講義内容はどのようなものでしたか?
ひとつの講義が2時間ぐらいなので、当然その中だけでは伝えきれない部分もありましたが、ライヴ制作はいつから会場を抑えたりとか、どういう人が関わっていたりとか、イベントを作っていく流れを、実際に僕が使っている資料とかも見せながらお伝えさせていただきました。
講義では、和楽器バンドの映像が見られる回があったと聞いたのですが。
僕が喋ってばかりの講義だとつまらないかなと思ったので、和楽器バンドのライヴの1日を映像で撮り、15分ぐらいに編集して生徒に見せました。やっぱり実際に見た方がわかるし、今まで見たことの無いものや、ためになるものを見られた方がいいじゃないですか? 本当はライヴに来てもらうのが一番ですが、せめてムービーを撮って見せようと思ったんです。
そもそも講師の話が来た時は、率直にどのように思いましたか?
先生をするような柄でもないので「え!?」とは思いましたけど、基本的に僕は、いただいたオファーは可能な限り全て受けるようにしています。最初は大変そうだなと思いましたけど、これを乗り越えた先には、今まで見たことの無い景色が広がっているのだろうなと思って。
去年、実際に講師をやってみていかがでしたか?
いや〜緊張しましたね。でもやっぱりそれも、ライヴ制作みたいなものなのかなと。 僕らの仕事はやることが決まっているわけではないので、「そこの店に行って、人を集めて盛り上げよう!」みたいのもライヴ制作だし、「誰かが誕生日だから、サプライズで盛り上げよう!」みたいのもライヴ制作。 それで言うと、講義で生徒たちが面白いと思えることを考えるのも同じですし、自分に今まで無かった知識も得られたので、いい経験になりました。
生徒たちの中でも、ライヴ制作をやりたい子は多いのではないでしょうか。
やっぱりライヴに携われるので面白そうと思うだろうし、そういう若い子がたくさんいるというのは嬉しいですよ。ただし、“続けることの大事さ”はあると思います。 例えば、好きな食べ物と嫌いな食べ物はあると思うけど、嫌いだから食べませんっていう人と、出てきたら食べますっていう人がいる。 どちらかというと後者の方が、ライヴ制作は合っているのかなと。 ライヴ制作はいろいろなお題やハードルが次から次へと出てくるので、そういう意味では自分で選り好みせずに、続けられるかどうかが大事なのかなと思います。
ライヴ制作は、音楽業界の仕事の中でもとりわけ“美味しそう”に見えますよね。
そうですね。講義を受ける子たちはライヴやフェスとかによく行っている子たちも多いですし、そういう子たちは意欲もありますが、実際にやることは地味なことも多かったりします。 パスを切っておくとか、お弁当の数を数えるとか。 ただしそれも僕らの大事な仕事なので、全てを含めて続けられる人は、気がつくと一人前になっていたりするんですよね。
ライヴ制作は、どこか誕生日のサプライズに似ている
中川さんが講義を通して、生徒たちに一番伝えたいことは何ですか?
好きになれるかが大事だと思います。例えば韓国のアーティストが好きで、韓国語を話せるようになったっていう子もいて、それはすごくいいこと。 ただし、就職した時に必ずしも好きな仕事に携われるとは限らない。 そんな時でも、自分が担当したアーティストや与えられた仕事を、まず好きになれるか。 一生懸命に愛情を注いで仕事をできるかどうか。そこが大事だと思います。 その上で「こうしましょう」って提案できる説得力や論理を、時間をかけて養っていく。 資質もあると思いますけど、その環境に居続けられるかどうかは大きいと思います。
中川さんが今の環境に居続けられたのはなぜだと思いますか?
僕は何でも途中で投げ出したくない性格なんです。だからスポーツでもマラソンとか走るのは得意で、でもあれって人によってはしんどいじゃないですか? 今40歳ですが、振り返ってみても“続けちゃう性格”が今の仕事や自分を作っている気がします。 講義でも「地味だけど続けることの大切さ」は、常に伝えるようにはしています。
中川さんがご自身の仕事で、最もやりがいを感じる瞬間を教えてください。
それはやっぱり本番を迎えて、開園した瞬間。それと終わって、お客様が良かったって感じて帰っていくのを見る瞬間ですね。 その時に……救われるというか。 ライヴって1日、さらに言えば数時間なわけじゃないですか。 そのために1年とか1年半かけて、自分をすり減らして準備をする。 僕の中では、どこか誕生日のサプライズとかといっしょだと思っていて。 いろいろと仕込んで、その一瞬にかける――その子を喜ばせたいのか、やっている自分たちが喜びたいのか、わかんなくなってくるじゃないですか? まあどっちもですよね。 それも「失敗したからもう一回」みたいなのはない。 まさにライヴ制作って、そういうことなのかなと思います。
1時間弱、インタビューしただけでも伝わって来る中川さんの魅力。弾き語りの時やスポーツ選手のマネージャーの時に出会った人も、ライヴ制作を共にしたアーティストやスタッフの方も、中川さんの人懐っこさや裏表の無い性格、そして地道な努力を見ているからこそ、信頼関係を築けているのだと思います。 中川さんは今年も講師を引き受ける予定とのこと。 さらに生徒がビックリするような講義やゲスト(!?)も考えているそうなのでぜひ!